311あれから7年 未希の家

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さて、すっかり日も経ち忘れてしまった311。
あれから7年も経つのですね。
それにしても早いものです。

あの当時テレビのCMは全部ACになりますたね。
そうそう。
こんなのばっかり流れてました。覚えてるでしょうか。

スーパーの棚から食料品も消えた。

怖い。怖い。
とにかく何でもよいから更新してくれ。
ブログを読んでると落ち着くから。

そういうメールがいくつも来ました。

こんな金玉などというおバカブログでも役に立つのか。。
そう思って毎日更新してた記憶があります。

その当時は、fc2でやってたのですが、
自分のブログが固まって書き込めないぐらいのアクセス数でした。
1日15万件近かったと思います。

今思えば恐ろしい話ですた。

さて、今日はちょっと以下のような本を紹介しておきます。

これは津波被害にあった南三陸町の役場職員、遠藤未希さんの本です。
未希さんのお母さん美恵子さんが出版したものです。

有名な話なので知ってる人もいるかもしれませんが。
その当時、役場の職員だった未希さんは津波が来るまでずーっと必死に防災無線でアナウンスしてたんですね。

宮城県内に10メートル以上の津波が押し寄せています。
今すぐ高台に避難してください。

3階の庁舎にいたら助からないのは分かっていながらも遠藤さんはアナウンスを止めなかった。
その声で助かったという町民は多いそうです。

これはその当時の音声です。
他の職員が、「上がって上がって未希ちゃん、上がって。」その声を最後に声は途切れた。

未希さんは結婚したばかりで9月には披露宴を行う予定でした。

この2階に未希さんはいました。
庁舎は跡形もなくなっています。
 

未希さんの同僚の言葉:
本当はみんな逃げ出したいですよね。その立場だったらね。
でも本当に責任感が強いという事が一番未希ちゃんの・・・
人間性が出てたんじゃないでしょうかね。

旦那さんの言葉:
正直、見たくない記事でした。
奥さんにはにげてほしかった。
そして生きてほしかった。
世間は妻である遠藤未希の行動に賞賛を送り、感動していました。
様々なブログで紹介されていました。
結婚式もあげてないよ。
子供だってほしいよ。
いろんな場所に連れていきたかった。
一生かけて守りたかった。・・

その後、遠藤未希さんの両親は、未希の家という民宿を開いたそうです。

東北に行く機会があれば寄ってみてはどうでしょうか。

民宿 未希の家
http://mikinoie.minami3riku.com/

未希さんの勇気ある行動は「命の呼びかけ」と称賛されました。
しかし、その一方で美恵子さんは喪失感に苛まれ続けます。
ある日、未希さんの遺品を整理していると、一通の手紙をみつけました。
そこに書かれていた一文に勇気づけられ、美恵子さんは決心したのです。
娘の遺志を語り継ぐために、民宿「未希の家」を作ろうと――。

あの時はみんな必死だった。
他にも海外でFUKUSHIMA50と報道された原発作業員さんたちとか。

あの人たちはどこにいったのだろう。
無事でいてくれればいいですが。

そういえば、君の名はという映画は、放送を電波ジャックして住民に避難を呼びかけた。
人知れずみんなを救おうとした女の子の話でしたね。
主人公のみつはさんは未希さんにかぶるものがありますね。

もしかしたら色んな話が背景にあってあの映画はヒットしたのかもしれません。

この世の中を良くしよう。
人知れず頑張った無名の人たちがいた。

その人たちのおかげで多分、この世の中は徐々に良くなっていくだろう。
そう思う311から7年目でした。

本当にありがとうございますた。

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