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さて、今週の週刊新潮ですが。世田谷の放射能騒ぎを出して年間30ミリシーベルトを浴びた女性はガンになったか?ならなかっただろう。あの武田教授のことを無闇に恐れる放射能ヒステリー教の教祖などと言って批判している記事が出ていますた。
まぁ、週間新潮とか週間文春とか。言うまでもなく御用雑誌。政治家を批判しているかのようで、その実、権力者の都合の良いようにコントロールするための御用雑誌なのです。弁証法そのまんまなのです。まぁ、皆さん薄々感ずいていると思いますが。
前にblind、現実に目を向けないものは未来に盲目であるという動画を載せますた。
今回はチェルノブイリの子供たちが書いた作文集を紹介します。
5年後に確実に起きる未来。この作文集は、主に中等学校(11年制で、6歳から16歳までの子どもが学ぶ)の高学年の生徒たちによって書かれますた。事故が起きた時、この子達はまだ幼くなにが起きたのかを正確に理解することができなかったのでした。そんな彼らが成長して書いた文章です。
「わたしたちの涙で雪だるまが溶けた」梓書院 チェルノブイリ支援運動九州より
http://blog.goo.ne.jp/nagaikenji20070927/ 放射能防御プロジェクト
※注文は以下でできるようです。
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http://www.cher9.to/hon_03.html
2つの作文を抜粋します。
「心に秘めた願望」 エブゲーニ・ペトラシェービッチ(男)
中等部10年生 カリンコビッチ地区この森には何でもあった。草原は僕を引き寄せ、友達と長い時間を過ごした。
森はキノコの王国だった。
しかし今は、すべて過去のものとなってしまった。
僕たちの村、ミノフビッチでの放射能の測定値は5キュリーに達した。
昔とはまったく違う村になってしまった。
チェルブイリは僕たちから、平穏、未来への希望、幸福への確信をすべて奪い取ってしまい、今はただ恐ろしい悪夢の時代になってしまった。
僕は学生で、よく勉強している。僕や友達が熱望することは、将来、新聞、ラジオ、テレビが報道している禁止事項がすべてなくなってしまうことである。
大祖国戦争のとき、ベラルーシ国民は多大ば犠牲を払った。
4人に1人が死んだ。
残忍なチェルノブイリは、何万人もの人々の命を奪い取去り、何万人の子どもを病院や診療所にたたきこんだ。
テレビで親たちが最後の望みをかけて、骨髄移植のために息子や娘を国外につれていく費用を協力してほしいと訴える様子は見るに堪えなかった。
血液のがん。これは治療の困難な現代の病気である。罪深いチェルノブイリはとうとう僕にも甲状腺の病気をもたらしてしまった。今後どうなっていくのか、予測はできない。
最近、僕はアリョーシャ・クリーガのチェルノブイリに関する本を読んだ。
彼はブラーギン地区病院の監査委員のメンバーとして従事した時のことを書いている。
その本のあるページに記載してあった診療登録されたカルテのデータは、心の痛みなしには読むことができなかった。
エレナ・D 1985年生まれ 線量 396レム
アンドレイ・G 1985年生まれ 線量 788レム
女の子や男の子が百名以上も、甲状腺の被ばく線量の数字とともに並んでいる。
なんと恐ろしいことだ。
戦争があったわけでない。爆弾が落とされたわけでない。
地雷が落とされたわけでない。
だが、子どもたちが死んでいく。
これが戦争でなくてなんであろう。災難は音もなく、裏切りもののように忍び寄ってくる。
僕たちは何のために生きているのだろうか。
森の中に入るのは禁止。草原で遊ぶのは禁止。
魚釣りも禁止。しかし、生きることは許可する。人間の命はなにものにもまさり尊いと言いながら、農民の子どもが自分の血でのどを詰まらせている。
ナローブリャの男の子が授業中に気絶する。
ブラーギンでは先生が女の子の出血を止められないでいる。
なぜ、こういうことに目を向けるのであろうか。
この不幸なこどもたちを救うためには何ができるだろうか。
チェルノブイリの苦痛。この問題は永遠の課題になってしまった。
僕たちはみな、チェルノブイリによって刻印を押された無実の囚人である。このような生徒はベラルーシに50万人いる。
僕たちはストロンチウムに汚染されたリンゴを食べ、セシウム入りの牛乳を飲み、致死量の放射能に汚染された土の上を歩き、そこで遊んでいる。
チェルノブイリの悲劇はわれわれの健康、魂、運命を損ない続けている。
僕はこんなことが起こるのは嫌だ。僕たちはみんな将来によりよい希望を持って生き、遊び、楽しみたいのだ。
「暗い夜になる前に 」マリア・ゴルフビッチ(女13歳)
ソコビッチ中等学校7年生 ソリゴルスク地区チェルノブイリが私の小さな村を荒らしたとき、私はたったの5歳だった。
不幸は私の家も避けはしなかった。
兄のミーシャは、今もなお無慈悲に人々をなぎたおし続けている恐ろしい病気、ガンで死んだ。医者は放射能のせいだと言った。
ミーシャは、20回目の春を迎える一週間前に死んだのだ
今では、ガンがチェルノブイリ事故の影響であることを疑う人はいない。
なぜ、私の兄に恐ろしい白羽の矢がたったのか。
なぜ、今死んでいく何千人もの人々に白羽の矢がたったのか。兄は死ぬ前に、もう歩けなかった。
兄は私にこう頼んだ。「僕のそばに座って、マーシェンカ、美男子になるように髪をすいてくれないか」と。私は黙ってうなずいた。
兄は暗い、生気のない目でただ私を見つめるだけだった。
そして、私は一人祈りつづけた。
命の灯りを
消さないで 瞳さん
暗い夜になるまえに家族みんなつらかった。
私と母はミーシャをがっかりさせないように、こっそり泣いた。
こうやってチェルノブイリはわが家に侵入し、壁にかかる遺影として永久に住み着いてしまった。
時は進む。人々は以前人生の出来事を思い出すとき「戦争前、戦争後」と
言っていたが、今では「チェルノブイリの前、チェルノブイリの後」と
言っている。それは悲しい歴史の区切り目となってしまったのである。チェルノブイリの悲劇は、私たち皆に慈悲、思いやり、良心を要求している。
なぜなら、それがないところには不幸が住みついてしまうからである。
でも今わがやには不幸がいすわっている。それは出ていこうとはしない。何年たっても何世紀たっても
この痛みは私たちから去らない
それはあまりに大きく果てしなく
どうしても鎮められない
それは負の遺産として
何世紀も 私たちの子々孫々に残るだろう
そして彼らの心に居すわって
永遠に平静を奪うだろう
地球上の一人ひとりが
このおそろしい年
おそろしい日を覚えていますように
これを読んで放射能ヒステリーなどとまだ言えるのか。聞いてみたいものです。
御用雑誌の連中。獣の道を選択した連中。
以下気になるデータがあります。国立感染症研究所が発表したいろんな感染症の10年間の比較データです。なぜか今年の11年だけ突出していますね。これは手足口病の過去10年との比較グラフですが。今年はいろんなところで手足口病がはやったと聞きましたが。なぜか11年だけ多い。
他の感染症も11年だけ突出してます。
急性出血性結膜炎
http://idsc.nih.go.jp/idwr/kanja/weeklygraph/14AHC.html
伝染性紅斑
http://idsc.nih.go.jp/idwr/kanja/weeklygraph/07parvo.html
細菌性髄膜炎
http://idsc.nih.go.jp/idwr/kanja/weeklygraph/16bacmen.html
無菌性髄膜炎
http://idsc.nih.go.jp/idwr/kanja/weeklygraph/17aseptic.html
マイコプラズマ肺炎
http://idsc.nih.go.jp/idwr/kanja/weeklygraph/18myco.html
RSウイルス感染症
http://idsc.nih.go.jp/idwr/kanja/weeklygraph/21RSV.html
いろんな感染症が増えるということは、これは徐々に人々の免疫機能が落ちてきている証拠でしょう。着実に事態は進行していると見て良いかと思います。
正しく恐れる人々を放射能ヒステリーなどと言って馬鹿にし、セシウム入り食品をバクバク食べて内部被曝している人。マスクもしないで街を闊歩してストロンチウム90入り粉塵を肺にためている人。
覚悟した方が良い。
これも、あまりショックを受けさせて悪いかと思ってのせていませんでしたが。
これから出産を予定している人。奇形児についてはワタスは以前にこれから北斗の拳に出て来る化け物キャラ、デビルリバースさんの母親みたいになりますよと書きますた。もちろんオブラートに包んだ言い方なのは言うまでもないことです。
youtubeに行って以下のキーワード
「Chernobyl Decay」 とか「Chernobyl Deformed」
などと入れて検索して見て下さい。恐ろしくてここには張れません。
気の弱い人は絶対に見てはいけない。ワタスは最初10秒ぐらい見たのですがそれ以上見れなくてやめてしまいますた。
本当は地獄。まさに地獄。チェルノブイリで生まれた奇形児がどんな風なのか。
このブログでリンゴペクチン、トマトジュース、スピルリナ、玄米食、発酵食品、味噌、はたまたソルフェジオ周波数。
ありとあらゆる放射能被曝に効くというものを紹介してきたのは、実際、長崎、広島で被曝した人も肥田医師によれば生き残った人がいた。実際生き残った人が大勢いたからです。
東日本大震災でも生き残った人と死んだ人の違いはわずか2秒の差だったとありますた。いつも気をつけることは難しいかもしれない。緊張感は長く続かないかもしれない。
しかし、たったちょっとの差なのです。
こんな御用雑誌にだまさて危機は去ったなどと浮かれないように。
ただ今は、冷徹に、今やれることをやった方が良い。
後でそれが大きな分かれ道だったと気づくはずです。
本当にありがとうございますた。
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