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さて、本日より、いよいよとなりますたが。
今のところなーんにもありません。
ワタスの注目しているポイントですが。
それ以外はありません。
このまま何もないことを祈りましょう。
さて、話変わって。
先日、ワタスはある一人の既知外さんと共に昇仙峡をハイキングをしていますた。
ワタスが、タッキーと呼んでる人物です。
このような本を書いている方ですた。
だ、誰なんだ。。こんな大量の既知外本を出してるのは。
そう、ワタスがタッキーとなれなれしく呼んでるのは天下泰平さんという方です。
以下のようなブログを書いている方でした。
天下泰平さんは3.11当初、都内にいるサラリーマンでその当時、渋谷にいて、
お子さん連れで帰宅難民になったのでした。
その後、ここにいてはまずいと思い、山梨に引っ越ししたのです。
以下、2013.3.11の泰平さんのブログからです。
2011年3月11日14時46分、そこで東日本大震災が発生。渋谷辺りも震度5強の強い揺れであり、高層ビルが豆腐のようにプルプル崩れ落ちそうになるのを下から見ており、そして次々に道路へと人々が飛び出してきて、あたりは悲鳴や叫び声が飛び交って一時パニック状態となっていました。
この時には、これから先に大難が発生することや首都直下型地震が近い将来に起こることも予想はしていたのですが、まさかこんな早いタイミングで起こるとは思わなかったので、様々な憶測が頭の中で飛び交いました。
「首都直下型?遠く外国の地震?まさか富士山??」などなど、色々考えながらすぐに震源地を確認すると宮城県で震度7という数字が出て来てゾッとしました。うちは秋田県を本籍とした東北家系であり、宮城県にも親戚はいて、何より自分自身の生まれは仙台であったからです。結局、東日本大震災の死亡者の6割は宮城県の方々だったようですね。
だから、あらゆる面において、この311は自分にとっては特別であり、大きなターニングポイントとなった出来事でした。
これが被災地がまた別のエリアだったら、今とは少し違った想いだったでしょうし、この日も東京ではなく遠く離れた別のエリアで震災を体験しても今程印象には残らなかったでしょうし、何より生まれて間もない子供と一緒に東京のど真ん中で被災して帰宅難民になるというのは、まるですべて仕組まれた計画のようであり、これがなければ今の自分はなかったといえるかもしれません。
正直自分一人であったなら、どこで何が起こっても「大丈夫」という認識がありますし、それでも万が一災害に巻き込まれて死んでしまったとしても「まぁ、仕方ない」で済ませることはできますが、さすがに小さな子供を抱えている状態だと、そう簡単にはいかなくなります。いつも以上に神経を張りつめて、様々な判断が瞬時に求められます。
この家族を巻き込んでのサバイバル体験というのは、今後にとっても非常に意味のあることでしたし、特に移住を決断する最初のきっかけとなったと思います。
「都市は危険だ」という情報が、頭でなく体に刻み込まれたからです。
だから、この後すぐに「原発がメルトダウンしました」という情報が入って山梨へと移住することになりましたが、これが原発だけだったら家族はまだしも、自分までもが山梨に行くかどうかは、わからなかったと思います。
なぜなら、実はこの頃には東京で新しい事業を始めることが決まっており、もう数日したら具体的に東京に通勤しながら新しい仕事を始めることになっていたからです。それらを投げ出して東京には戻らないし行かないという決断は、そう簡単にはできなかったものです。
しかし、311が発生した真夜中、帰宅難民となって子供を抱きかかえている最中にインスピレーションが入ってきて、そこで伝えられたことは、この決まった事業も手放し、そして関連していた組織や人々とも縁を切ることでした。
その時は、よくわかりませんでしたが、結局は原発事故が追い打ちをかけて内なる声に従わざるをえない状況となり、何もかも投げ出して3月15日の朝には山梨へと避難、そしてそのまま移住となりました。
もちろん、直接東北で被災された方に比べたら、311が人生に与えたショックというのは比較にならないかもしれませんが、少なくとも自身の人生においては、あの日がきっかけで、あらゆることの方向性が変わった日でした。
だから今日だけに限らず、日々犠牲者のご冥福をお祈りしたいと思いますし、そしてこの犠牲を無駄にせずに、新しい日本をつくりあげていきたいと今も変わらず強く思っています。
泰平さんは、東京で事業が決まっていたのに、全てを手放して移住して来たようです。
心の声に従った。
多くの人が、富や名誉、地位。
外界のおバカな基準を追いかける中、心の声に従って行動できる人がどれだけいるでしょうか。
その行動力。そして自分を信じる勇気。
つぁぁぁ。
ヤバい。
お会いするとまだ若いのに、全身麻に身を包んだ完全な既知外さんですた。
多分、黄金村の近隣住民がパナウェーブ研究所の人と恐れていたのはこの方かもしれません。
始めて黄金村にいらっしゃった時、左にタコ入道のようなおっさん。
右に仙人のような白髭のおっさんを連れていらっしゃいますた。
若いのに遥か年上のおっさん達を、助さん格さんのよう操っていますた。
黄金村住民も、恐れ慄いて見てたのは言うまでもありません。
ワタスも恐るおそる話しかけたのですが、非常に落ち着いた雰囲気の理知的な方でした。
ホッ。
安心してお話をすることができますた。
彼も黄金村と同じように八ヶ岳周辺で自給自足コミュニティを形成しつつあるようです。
天下泰平さんです。
このようなセミナーもやってらっしゃる方でした。
セミナー 自給自足国家作りの第一歩 2013年11月30日 ヒカルランド
左は、黄金村の黄金村の場所で、泰平さんは右の八ヶ岳の南麓の方に拠点を構えています。
甲斐大泉の方ですね。
黄金村ともそれほど離れていません。
今後、我々は連携していくでしょう。
とにかく我々は、八ヶ岳周辺で広域既知外コミュニティを形成しつつあります。
八ヶ岳周辺はその昔、縄文文明が栄え、縄文土器が多く発掘されています。
人呼んで広域暴力団ならぬ、広域既知外団。
名づけて縄文組とか。
近々、現代文明は滅ぶ。
そして、なぜかそれを予感してか目覚めた人々が八ヶ岳周辺に集い始めている。
我々は新しい文明を作るのです。
ワタスの考える新しい文明のイメージは以下です。
昨日たまたま見つけますた。
↓閲覧注意!将来の黄金村イメージです。八ヶ岳に集う人々。
http://goo.gl/DVPsqo
ヒャッハーー!!
とかなんとか。(すみません。もちろん冗談です。)
皆様も、東京に住めなくなればぜひ逃げて来て下さい。
ボロボロになりながら、東京から逃げて来るあなた。
命かながら逃げて来るあなた。
き、金玉ブログ見て逃げて来ますた。
だ、誰だお前は。
まるで乞食じゃないか。
この縄文組は見知らぬ者は入れてはならぬとのお達しじゃ。
合言葉を言え!
この村には合言葉なしじゃ入れないんだ。
あ、合言葉ぁ?
東京から飲まず食わずのあなた。
薄れゆく意識の中で思いを巡らします。
えーっと。
合言葉は。
えーっと。なんだっけ?
確か。金玉ブログには、いつもなんだか訳の分からない叫び声が書かれていた。。
朦朧とした意識の中であなたは思いだす。
あ、そうだ。たぶん、これだ。
ヒャッハーーー!!
魔法の言葉を唱えれば、鬼のような門番もニッコリほほ笑みかける。
ヒャッハー!!
縄文組に入る時には必ずこの言葉を言いましょう。
ここら辺はペンションや宿はいっぱいあります。
いざとなれば、空き家だって貸してくれるかもしれません。
まぁ、とにかく。
今日は、銀行のお金をおろしておきましょう。それに食料もちょびっと買っておきましょう。
それと、逃げるルートは関越道ルートが良いでしょう。
中央道ルートは危険かと思います。
総員、戦闘配置。脱出用意!!
移動は、チャリやバイク!騎乗用意!!
なんかワクワクしますね。
やらせはせん!!!
とかなんとか。
って、良い年こいて、ワタスはいつまでこんなことをやってるんでしょうか。
自分でも完全な既知外になったなと我ながら思います。
本当にありがとうございますた。
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