石巻の虹の架け橋 虹に包まれて欲しい人たち

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さて、311の虹を載せたのですが。
この石巻の虹。

ワタスはこのツィートは何気なく載せたのですが。

この写真は、石巻で被災した人達が立ち上げたボランティア団体。
チームわたほい」さんの写真なんですね。

メールで教えて貰いますた。

以下、そのチームわたほいを作った遠藤夫妻の話が載ってたので張っときます。

アエラさんより


「伝えることはいつも一緒です。守ってやれなくてごめんな。怖かったよな。ごめんな」

遠藤さんは震災で、当時13歳、10歳、8歳だった3人の子どもたち全員を亡くした。

震災の翌日、避難所からやっとの思いで自宅があった場所までたどり着くと、冷たくなった8歳の次女・奏(かな)ちゃんを抱いた母の姿があった。

間もなく、13歳の長女・花さんも崩れた自宅のなかで見つかった。
10歳だった侃太(かんた)君を見つけるまでは、と踏ん張っていたが、10日ほどして遺体で見つかった。

「侃太が見つかったときに思ったのは、あぁ、これで俺も死ねるなってこと。

それでも死ななかったのは、見守ってくれた人、寄り添ってくれた人がいたからです」

避難所で3日後、帰宅できなくなっていた妻の綾子(りょうこ)さんと再会した。

そのときも遠藤さんをひとりにしないようにと必ず誰かがそばにいてくれた。

過酷な環境のなかでも笑顔を絶やさず、泥だらけになりながら活動するボランティアの姿にも勇気づけられた。

そうしているうちに思ったという。

「うちの子らは、生きたくても生きられなかった。

紙一重で生き残った俺が生き続けなくてどうすんだ。

ここで首つったりしたら、子どもたちにぶっ飛ばされる」

あれから8年。遠藤さんは毎年、自宅の跡地に建てたプレハブで、震災当時同じ避難所で過ごした仲間やボランティアらとともに3月11日を過ごす。今年はあいにくの大雨。それでも、午前中から多くの人が足を運んだ。

「3月11日は、これだけの人が寄り添ってくれていることを再確認する日です。

あの日以来、人とのつながりのなかで何とか生きてきた。

そのことに改めて気づくことができるんです」

遠藤さんはひとり来るたび、いすと食べ物をすすめ、感謝の言葉をかけていた。

帰る人がいると、ずぶぬれになりながら見送る。
・・

ワーン・゚゚(つД`)・゚゚
こんなの読んだら泣いてしまうわ。
不覚にも涙がこぼれた。

以下は「虹の架け橋」という遠藤さんの自宅兼事務所の庭に作った遊具だそうです。
イベントの時や普段から多くの人に訪れてもらえるよう作ったそうです。
そうか虹の架け橋。
だから虹が立ったのか。

いっそ死んでしまおうと思う出来事を飲み込んで生きてきた人がいる。
そして今、前を向いて生きてる人がいる。

こういう人がいるからこそ石巻に虹が立ったんだ。

そう思いました。

教えてくれた人ありがとうございました。

本当にありがとうございますた。



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